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仰ぎ見たるは思郷の桜

堀川くん視点の小話。兼堀だと言いはる。刀の気持ちになって書こうとしたけど想像力が足りなかった。ネタは結構気に入ってます。

仰ぎ見たるは思郷の桜

 澄んだ空に舞う桜の花びらを目で追いかける。まるでいつか見た光景だ。
 花びらを追うようにそのまま歩みを進めると、中庭と思わしき場所で何振りかの刀が賑やかに花見をしているのが伺えた。僕に気付いた刀もいるようだ。今日からここでお世話になるのだから、きちんと皆さんにあいさつをしなければ。
 最初が肝心だ。ぐっと両手を握りしめて、大きく息を吸う。
「初めまして! 今日からこの本丸でお世話になります、堀川……」
「国広! 国広じゃねぇか!」 
 花見をする刀たちの中から大きな声で呼ばれた名前は、間違いなく自分のものだった。どうして僕のことを知っているのだろう。声の主を探して辺りを見回そうとしたけれど、どうにも身動きをすることができない。僕の体はすっぽりと誰かの腕の中に収められてしまっていたのだ。前を見ることもできないまま、頭の後ろの方で今しがた名前を呼んだ声に話しかけられる。
「お前今までどこでどうしてたんだ」
 そんなことは僕が知りたい。それより何故僕のことを知っているのか。あなたはどこの誰なのか。けれども疑問を投げかけようと開けた口から出た言葉は自分でも思いもよらないものだった。
「もしかして……」

     **********

 新しい刀が来るんだ。
 嬉しそうにそう話していたトシさんの顔はよく憶えている。

 新しいその刀は、新しい二本掛の刀掛台と一緒にトシさんの部屋の小さな床の間にやってきた。僕と同じ朱の鞘にいくつもの細工が施されている。揃いの刀だと並べて掛けられたけれど、いの一番にきれいだ、と感じた刀と並べられるのはどうにも気恥ずかしかった。
「えっと……。君が和泉守兼定、かな?」
 床の間の前でしゃがんで話しかけてみる。返事はない。彼に憑いていないことはひと目でわかったけれど、憑いていない間の記憶だって残るというもの。僕は彼と上手くやって行きたかったし、彼が人の姿を持っていないこと以外に僕たちに刀としての違いなんてないのだ。
「僕は堀川国広。これからよろしくね、兼定さん、というのはいささか他人行儀かな? でもいきなり兼定くん、なんて呼ぶのもなれなれしいよね」
 やっぱり返事はない。でも僕には彼を兼定さんと呼ぶのも、兼定くんと呼ぶのもどうかとしか思えなかった。
「うーん、そうだなあ……」
 つぶやきながら考えていると、これぞという案がひらめいた。
「兼さん! 間を取って兼さんっていうのはどうだろう」
 思い返してみても何の間を取ったのかはよくわからない。けれど僕はこの呼び方をいたく気に入ったのだった。
「改めまして、これからよろしくね、兼さん!」

 その日から僕は暇さえあれば兼さんに話しかけた。今日もトシさんが格好よかったこと、もちろん兼さんが来る前からトシさんは格好よかったこと。兼さんはきっとまだ見たことがない京の町の桜の話、雨が降ればしなだれる川沿いの柳。たまに見かける沖田さんの刀に憑いた二振りのよく似た付喪神。彼らもまた、兼さんを気にしている素振りをすること。見えたもの、憶えていること、何だって兼さん聞いて欲しくて僕は毎日話をしたんだ。
 トシさんに振るわれる兼さんはどんどん強くなっていくように見えた。最初に気恥ずかしいと感じた気持ちは、僕の自慢に変わり、隣に並ぶということは誇りになった。兼さんに惹かれるのを感じては、新しい話をするのが楽くて仕方がなかった。自分の足で僕の話を確かめたくなった兼さんがある日ひょっこり憑かないかなあ、なんて淡い期待も持ち合わせていた。
 僕だって兼さんの話を聞いてみたかったんだ。

 冷えこんでいるというのに開けっ放しにされた障子窓からは凍ったような月明かりがただキラキラと降りそそいでいる。誰もが口々に寒さが厳しいとこぼしていた冬の、ある夜のことだった。その日のトシさんは仲間と酒盛りでも始めたのか、いつもより遅い時間になっても部屋には戻らなかった。座ったままぼんやりと月を眺めていた僕は、床の間の方をのぞきこんで兼さんに声をかけた。
「兼さんも寒いでしょう、風邪をひかないように暖かくしておいたほうがいいよ」
 とは言ってみたものの、刀の姿しか持っていない兼さんが自分でできることはなかったし、僕にできることも何もなかった。
「兼さんも人の姿を持ってたら、誘ってどこかに暖でも取りに行くんだけどなあ」
 ぼやきながら、ふと気付いたことがある。あんなに兼さんと話をしてみたいと思っているのに、僕は人の姿の兼さんというものを全く想像していなかったのだ、というより頭のどこかで格好いいに違いない、と決め付けていた。いざ一緒に暖を取るところを思い浮かべてみても、そこにうまく兼さんの姿を描くことができない。
「人の姿になった兼さんてどんな感じかなあ……」
 刀は最初の主の姿に似ることがあると誰かが言っていたような気がする。刀身の大きさも考えると、少なくとも僕よりは背が高くて格好いい姿なのではないだろうか。だけど僕はトシさん以上に兼さんに話しかけてしまっている。まさかとは思うけど、僕に似てしまったらどうしようか。確かに姿と強さに関係はない。人間の目に映る機会だってないのと同じだ。でも僕のような大人とは言い難い姿よりは、トシさんのような格好いい姿の方が兼さんには似合うに違いない。
「ひょっとして、兼さんに話しかけるの少しがまんした方が良いのかなあ」
 兼さんの鍔の縁を月明かりがなぞっていく。わずかに光ったそれを彼の言葉だと取るのはあまりにも都合が良いだろうか。
「でも、だめだなあ。兼さんに話しかけるの、がまんできそうにないや。だって僕、兼さんのことが大好きなんだもん」

 だけど僕が兼さんの人の姿を知ることはなかった。

 遠い北の地で、兼さんを江戸に住む親戚に渡して欲しいとトシさんは若い隊士にことづけたのだった。僕にできたことはそれを静かに見送ることだけ。お別れだね、兼さん。
 五月晴れの澄んだ空の下、たくさんの桜の花びらがはらはらと風に舞い踊る。すごいね、きれいだね。京ではこの時期にはもう桜は散ってるんだよ。多分ここでしか見られない景色なんだろうね。一緒に見られて良かったと思う。
 この先いつになるかはわからないけれど、もし人の姿を持つことがあったなら、僕の聞かせた話を憶えておいて欲しい。そして誰かに伝えてくれたなら、僕は、嬉しい。

     **********

「……兼さん?」
 僕を収めきっていた腕にさらに力がこめられる。
 兼さん。
 苦しかったけど、僕もなんとか両手を伸ばして兼さんの背中にまわそうとした。だけどその背中は僕の両腕では足りない程に広かった。
「こんなに大きな姿だったんだねえ」
 ふふっ、と思わず笑みを浮かべながらその背中にながれる長い髪を指に絡めてみた。僕と同じ黒の髪にいくつもの花びらが咲いている。とてもきれいだ。
「オレだってずーっと返事してえなと思ってたんだよ。お前の話、全部残らず憶えてるからな」
「それは嬉しいなあ」
 ふいに腕の力が緩められ、いちだんと声が近くなる。
「――これからはオレの話も聞いちゃくれねえか」
 兼さんの背中に回した腕を、今度は頭のすぐ上に近づいた顔を探すように、そろりと動かした。兼さんの笑う感覚が手のひらから伝わってくる。
「もちろん! 僕の知らない話をたくさん聞かせて欲しいな」
 答えてから上を見上げる。それが僕の初めて見る、人の姿の兼さんだった。